よく考えてみたら、母と過ごした歳月が私の年齢とほぼ重なることに今更ながら気づき、なるほど‥‥と感無量の現在です。
なぜ、なるほど‥‥なのか。
30歳までの独身時代はもちろん、結婚して子どもが生まれてからは、しょっちゅう熱を出して保育所を休む娘の面倒をみてもらったこと。生まれてからどころか、これから生まれてくるであろう子どもの面倒を見てもらおうと、生まれる前からちゃっかりと親の近くに住まいを持ったこと。
そう考えると、母と離れて暮らしたのは、結婚した直後の3カ月間だけだったということになるのです。
何という母依存の生活が続いていたことか、と自分でも驚いています。
元気な母は、何の問題もなく100歳まで元気に長生きするだろうと、ずっと今まで何の疑いも持たなかった日々でした。
そんな元気な母の88歳の米寿のお祝いを計画していた矢先、母の突然の衰えに慌てふためく日々が2カ月半。その後、寝たきりになり、そして、その2カ月後にはとうとう帰らぬ人となってしまいました。そのあまりにも早い変わりように人間の命のはかなさを嫌というほど思い知らされました。
どうしてそうなってしまったのだろうかと、自問する毎日。
衰えがみられるようになってきたとき、ああすれば良かった、などど繰り返す自問。
今でも、それからなかなか抜け出せない日々が続いています。
計り知れない母への感謝の気持ちを、これからの自分の人生の送り方、終わり方にしっかりと表していく必要があるのではと。
まだまだ自問は続きます。